松本伊代 ―1965年生まれ
中学生の時に原宿でスカウトされ芸能界入りを果たした松本伊代。デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」が後にも先にも彼女の代表曲になりました。その後「夕やけニャンニャン」など複数の番組司会なども務めタレントとして活動の幅を広げました。1993年にヒロミと結婚し、今もおしどり夫婦であることが知られています。
三田寛子 ―1966年生まれ
元々は雑誌モデルとして上京した三田寛子。その後ドラマデビューを果たした翌年1982年に「駈けてきた処女」で歌手デビューとなりました。1991年に歌舞伎役者の中村橋之助と結婚。3人の男の子を授かり、今現在は「梨園の妻」として、そして主婦タレントとして、バラエティー番組や情報番組など幅広く活躍しています。
早見優 ―1966年生まれ
1982年にデビューした「花の82年組」に欠かせないメンバーがこの早見優です。幼少期はハワイで育ち、英語ができる才色兼備なアイドルとしても知られています。1983年にリリースした「夏色のナンシー」が彼女の代表曲です。1996年に結婚し、2女の母となった彼女ですが、いつまでも若々しいルックスで今もファンが多いです。
石川秀美 ―1966年生まれ
1982年にデビューし同年発売の「ゆ・れ・て湘南」がヒット曲となった石川秀美。1990年彼女がまだ23歳の時に、芸能界同期の薬丸裕英と結婚し、出産を機に事実上の芸能界引退となってしまいました。今は5人の子供を持つ母親となっています。長男SHOと長女Remiは芸能界入りを果たしており、彼らの今後にも注目です!
原田知世 ―1967年生まれ
14歳で芸能界入りをし、その直後からドラマや映画で活躍した原田知世。1983年映画「時をかける少女」で日本アカデミー賞新人賞などを受賞し、その後も「愛情物語」「天国にいちばん近い島」などの主演作が続きました。近年は連続テレビ小説「おひさま」や「半分、青い。」、ドラマ「あなたの番です」での活躍が印象的です。
渡辺典子 ―1965年生まれ
1982年に芸能界デビューをして、薬師丸ひろ子・原田知世と並んで「角川三人娘」と呼ばれた渡辺典子。その名の通り、80年代の角川映画で活躍しました。彼女の代表作は映画「積木くずし」や「晴れ、ときどき殺人」「彼のオートバイ、彼女の島」などでしょうか。今現在も映画やドラマへ継続的に出演しています。
工藤夕貴 ー1971年生まれ
中学生の時に既に自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組を持っていた工藤夕貴。その後女優として日本映画に出演していましたが、16歳頃から英語ゼロの状態からハリウッドに挑戦し今や世界的に活躍しています。「ヒマラヤ杉に降る雪」や「ピクチャーブライド」「SAYURI」などが代表作でしょうか。最近「下町ロケット」などの日本ドラマにも出演しました。
杉浦幸 ―1969年生まれ
1985年のドラマ「ヤヌスの鏡」で主演を演じた事が芸能界デビューとなった杉浦幸。翌年に「悲しいな」でアイドル歌手としてもキャリアをスタートし人気を得ました。その後も歌手・女優としてキャリアを邁進し、2016年にはデビュー30周年を記念したベストアルバムも販売していますが、どちらかと言うとバラエティー番組などで見かける方が多いです。
後藤久美子 ―1974年生まれ
小学生の頃からモデルとして活動し、1986年に女優デビューをしたゴクミこと後藤久美子。映画「男はつらいよ」シリーズや「ラブストーリーを君に」などで活躍しました。1996年にF1レーサーのジャン・アレジと事実婚をしており、現在の拠点はスイスのジュネーブなのだとか。2018年には23年ぶりに女優復帰を果たしたことで話題となりました。
伊藤麻衣子 ―1964年生まれ
元80年代アイドルの伊藤麻衣子。「奇跡の50代」とも呼ばれ、老けないルックスには驚くばかりです。49歳で初めてビキニ姿を公開したことも。芸能界で成功した後に早稲田大学に進学し、予防医学のためのロボット工学を研究。今は研究者として活躍する異色のキャリアの持ち主です。NPO法人「オーダーメイド医療を考える会」の理事を務めているそうです。
荻野目洋子 ―1968年生まれ
荻野目洋子といえば「ダンシング・ヒーロー」でしょう。2017年に大阪府立登美丘高等学校のダンス部がこの曲を利用したことで話題となり、彼女の名前が改めて有名になりました。80年代に活躍した後、出産&育児に専念していましたが、その後は楽曲制作やバラエティ番組への出演などで活躍中です。
岡田有希子 ―1967年生まれ
オーディション番組「スター誕生!」でチャンピオンになったことで芸能界入りを果たした岡田有希子。タレントとして活動を始めましたが、1984年にアイドル歌手としてメジャーデビュー。その後歌番組などに引っ張りだことなりました。また翌年にはドラマ「禁じられたマリコ」で初主演を担い、その才能を開花させています。
斉藤由貴 ―1966年生まれ
東宝シンデレラオーディションでの準グランプリがきっかけで芸能界入りが決まった斉藤由貴。1985年にリリースしたデビュー曲「卒業」が大ヒットし、その後女優業でも花が開きました。主演を務めた「スケバン刑事」も人気を博しシリーズ化することに。以降もドラマ・映画・舞台でと活躍の場を広げ、2020年にはデビュー35周年を迎えます。
大西結花 ―1968年生まれ
1984年にドラマ「家族の晩餐」で女優デビュー、翌年に「アラベスク・ロマネスク」で歌手デビューをした大西結花。TVドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」で主人公の姉役を演じたことで一躍有名になりましたが、その後は女優業や写真集販売などが主な活動となっています。2012年には17歳年下の一般男性と結婚したことで世間を驚かせました。
芳本美代子 ―1969年生まれ
1985年に「白いバスケット・シューズ」でアイドル歌手デビューをした芳本美代子。1990年に出演した舞台「阿国」で演劇新人賞を受賞してから女優活動へと方向を変え、その後数多くのTVドラマや映画で活躍しました。2019年には「コンフィデンスマンJP -ロマンス編-」にも出演しています。
本田美奈子 ―1967年生まれ
1980年代はアイドル歌手として、1990年代はミュージカル女優として活躍した伝説のアイドル本田美奈子。和製マドンナとも呼ばれた時期もあり「1986年のマリリン」「Temptation(誘惑)」などのヒット曲を生み出した他、王道ミュージカル作品「ミス・サイゴン」「レ・ミゼラブル」で透明感のある美しい歌声を披露しました。白血病のため38歳という若さで亡くなりましたが彼女の歌声は人々の心で生き続けています。
佐野量子 ―1968年生まれ
1984年にドラマ「気分は名探偵」で女優デビューをし、翌年1985年にアイドル歌手としてのデビューも叶えた佐野量子。その後は「笑っていいとも!」や「オレたちひょうきん族」などに出演しバラエティーアイドルとして活躍していましたが、1994年に芸能界を引退しています。1995年にJRA騎手の武豊と結婚したことでも有名です。
河合その子 ―1965年生まれ
元おニャン子クラブのメンバーだった河合その子。ソロで女優・歌手として活躍もしましたが1994年に作曲家の後藤次利と結婚し、一旦芸能界を引退しました。長らく専業主婦として業界から離れていましたが2010年に資生堂の化粧品ブランド「IN&ON」のコマーシャルで復帰。ですが今もあまりメディアで見かけることはありません。
河合奈保子 ―1963年生まれ
1979年に芸映プロが西城秀樹の弟・妹を発掘しようという試みで行なった新人発掘オーディションで優勝し、翌年デビューした河合奈保子。「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「けんかをやめて」など多くのヒット曲を生み出しました。結婚・出産を機に芸能活動を休止していましたが2006年頃から活動を再開しており、ピアノ作品集をリリースしています。
中森明菜 ―1965年生まれ
まだ15歳の時に出演したオーディション番組「スター誕生!」での合格をきっかけにレコード会社との契約をした中森明菜。1982年のデビュー以降「少女A」や「セカンド・ラブ」「飾りじゃないのよ涙は」など数々のヒット曲を出し、「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と「DESIRE -情熱-」で日本レコード大賞を2年連続で受賞しています。現在はTV出演はないものの、アルバム製作は続けているそうです。
岩井由紀子 ―1968年生まれ
元おニャン子クラブメンバーで、1985年に放送された人気アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌「うしろゆびさされ組」でユニットデビューをした岩井由紀子。うしろゆびさされ組自体は1987年に解散しましたが、その後ソロとしても活動し、バラエティ番組「クイズ!年の差なんて」や「歌え!アイドルどーむ」などに出演しています。1997年の結婚を機に芸能界は引退しており、今は2児の母です。
高井麻巳子 ―1966年生まれ
元おニャン子クラブメンバーの高井麻巳子。1985年に放送された人気アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌「うしろゆびさされ組」で、岩井由紀子とユニットデビューをしました。その後ソロとしても活動していましたが、1988年におニャン子&AKB48のプロデューサー秋元康と結婚し、突如芸能界からいなくなってしまいました。
吉沢秋絵 ―1968年生まれ
TV番組「夕やけニャンニャン」のコーナーに参加しおニャン子クラブメンバーとなった吉沢秋絵。ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で女優デビューをし、その主題歌「なぜ?の嵐」が歌手デビュー曲となりました。その後ドラマや映画でキャリアを積みながら、バラエティー番組にも出演。「笑っていいとも!」に約1年半レギュラー出演しています。
新田恵利 ―1968年生まれ
1985年におニャン子クラブメンバーとしてデビューした新田恵利。デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」ではフロントメンバーに選ばれており、以後もおニャン子の「顔」として有名になりました。1986年には「冬のオペラグラス」でソロデビュー。このデビュー曲がオリコン初登場1位の大ヒットを記録しています。今現在はタレントとしてバラエティー番組で見かける事があります。
国生さゆり ―1966年生まれ
今現在は数多くのバラエティー番組&情報番組に出演している元アイドルの国生さゆり。1985年、伝説のアイドルグループ・おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」でデビューをした後、「バレンタイン・キッス」でソロでもデビューを果たしました。バレンタイン時期に必ずどこかで耳にしている名曲ですね!おニャン子解散後は女優業・タレント業がメインとなっています。
立見里歌 ―1965年生まれ
元祖おバカタレントとしても知られる元おニャン子クラブメンバーの立見里歌。1986年には同じおニャン子のメンバーで4人組グループ・ニャンギラスとしてもデビューしています。1987年におニャン子クラブを卒業し、ポニーキャニオンに入社。その後寿退社し今は母となって、雑誌編集者&タレントとして活動しているそうです。
樹原亜紀 ―1969年生まれ
おニャン子クラブの元メンバーで、おニャン子クラブ内での4人組ユニット・ニャンギラスのメンバーでもあった樹原亜紀。お笑いキャラで愛されたメンバーでした。1987年におニャン子クラブを卒業し、それを機に芸能界は引退。その後はフリーライターとして活躍しているそうで、オランダ人の男性と結婚し、今はロッテルダム在住です。
名越美香 ―1966年生まれ
人気アイドルグループ・おニャン子クラブのメンバーで、クラブ内ユニット・ニャンギラスのメンバーだった名越美香。1986年におニャン子クラブ卒業後、舞台女優としても活躍しましたが程なくして芸能界を引退し、香港人パイロットと結婚。香港へ拠点を移しています。2020年には香港でSHEEPというアカペラユニットを組んで、YouTube上で活躍中です。
白石麻子 ―1969年生まれ
元おニャン子クラブメンバーで、おニャン子内4人組ユニット・ニャンギラスのメンバーでもあった白石麻子。1987年のおニャン子解散まで在籍し、その後は芸能界に残らずに学業に専念しました。1992年に結婚をし、3男1女をもうけています。
渡辺美奈代 ―1969年生まれ
「夕やけニャンニャン」のオーディションコーナーへの出演を機におニャン子クラブ加入が決まった渡辺美奈代。ソロデビュー曲の「瞳に約束」から5作品連続でオリコン初登場1位を獲得した記録があります。おニャン子解散後は女優業の他、バラエティ番組でも活躍し「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「ドリフ大爆笑」などへの常連出演者となりました。現在2男の母でもあり、ママタレントとしても活躍中です。
渡辺満里奈 ―1970年生まれ
元おニャン子クラブメンバーで、ソロアイドル歌手としても活躍していた渡辺満里奈。名倉潤と結婚し、今は2人の子供を持つママタレントとして情報番組やバラエティ番組で活躍しています。2000年以降はファッションや健康、趣味などに関する書籍を数多く出版しており、中でも「ピラティス道」ではデビュー時から変わらないスタイルを披露しています。
生稲晃子 ―1968年生まれ
元おニャン子クラブメンバーで、おニャン子内のユニット・うしろ髪ひかれ隊のメンバーでもあった生稲晃子。その後はソロで歌手・女優として活動し、ドラマ「キッズ・ウォー」や人気時代劇「暴れん坊将軍」シリーズに出演しました。2015年に乳がんを患っていたことを公表し、その後は啓発運動にも取り組んでいます。
斉藤満喜子 ―1970年生まれ
おニャン子クラブに所属していた3名で結成されたユニット・うしろ髪ひかれ隊のメンバーだった斉藤満喜子。人気アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌となった「時の河を超えて」でデビューしました。ユニット活動停止後はソロデビューして歌手として・女優として活動し、その後芸能界を引退。現在の夫はスジャータで知られる名古屋製酪の代表取締役の日比治雄です。
工藤静香 ―1970年生まれ
元おニャン子クラブ・うしろ髪ひかれ隊のメンバーで、ソロでも活躍した工藤静香。デビュー曲「禁断のテレパシー」以降「MUGO・ん…色っぽい」「恋一夜」「嵐の素顔」などのヒット曲を連発。またドラマや映画にも数多く出演しました。2000年に元SMAPの木村拓哉と結婚し、二人の娘Cocomi、Kokiは今やモデルとして有名ですね!今現在、母・工藤静香は裏方に徹している様子です。
松本明子 ―1966年生まれ
1983年に「♂×♀×Kiss(オス・メス・キス)」でアイドル歌手デビューをした松本明子。1989年からラジオ番組MCを始めて以降、バラエティー路線に変更し「バラドル」の第一人者となりました。「ヒルナンデス!」や「DON!」「秘密のケンミンSHOW」などに出演し、テレビで彼女を見かけない日はない程です。女優としても活動しており、連ドラ「花子とアン」にも出演していました。
森口博子 ―1968年生まれ
今日本で活躍するバラエティーアイドルにこの森口博子は欠かせない存在と言っていいでしょう。1985年に人気アニメ「機動戦士Zガンダム」の主題歌「水の星へ愛をこめて」でアイドル歌手デビューをした彼女ですが、程なくしてバラエティ番組に路線変更。お昼の人気番組だった「笑っていいとも!」には約8年間もレギュラー出演しました。
井森美幸 ―1968年生まれ
バラドルのパイオニアとして名を刻んでいる井森美幸。デビューは1985年「瞳の誓い」で、彼女の当時のキャッチコピー「まだ誰のものでもありません」は今現在も未婚の彼女が自虐的に利用しています。群馬生まれのぐんま大使として地域貢献をしており「秘密のケンミンSHOW」にもよく出演しています。
山瀬まみ ―1969年生まれ
1986年に「メロンのためいき」でアイドル歌手デビューをした山瀬まみ。明るい性格でトークが面白いことから徐々にバラエティー番組への出演が増え、1989年には「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されました。その後も「天才!志村どうぶつ園」「新婚さんいらっしゃい!」や「火曜サプライズ」など数々の番組でお茶の間に笑顔を届けています。
相原勇 ―1967年生まれ
ミュージカル「ピーター・パン」に憧れて芸能界に入った相原勇。おニャン子おクラブのオーディションに合格したにも関わらず加入辞退をし、ソロでアイドルデビューをしています。1993年〜1995年の3年間、夢だった「ピーター・パン」で主役を演じましたが、これは彼女のひたむきな彼女の努力あってのことでした。今は再婚した一般男性とハワイに居住しているそう。
磯野貴理子 ―1964年生まれ
チャイルズというラサール石井がプロデュースした3人組のお笑いアイドルグループの一員としてデビューした磯野貴理子。1987年から1年半ほど「笑っていいとも!」のいいとも青年隊も務めています。チャイルズ解散後はタレントとして数々のバラエティ番組で活躍し、「ホンマでっか!?TV」や「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演しています。
久留龍子 ―1964年生まれ
「劇団七曜日」に所属し、お笑いアイドルグループ・チャイルズのメンバーでもあった久留龍子。1988年に「恋は魚河岸のごとく」でレコードデビューをし、テレビ番組「オレたちひょうきん族」「うるとら7:00」などに出演しました。1992年にチャイルズは解散し芸能界は引退していますが、今も歌っているという噂があります。
茂原裕子 ―1967年生まれ
1986年に「劇団七曜日」に所属する劇団員3名で結成されたお笑いアイドルグループ・チャイルズに所属していた茂原裕子。いいとも青年隊として「森田一義アワー 笑っていいとも!」に出演していた時期もありました。1988年にシングル曲デビューもしています。彼女は1992年の解散を機に芸能界を引退してしまいました。
島崎和歌子 ―1973年生まれ
1987年に芸能界入りをし、ドラマ「魔法少女ちゅうかないぱねま!」や「スクールウォーズ2」で女優として活躍した島崎和歌子。90年代からバラドルに転向し「オールスター感謝祭」や「クイズ!当たって25%」などの司会を務めています。今現在も「人生最高レストラン」などのレギュラー番組を持ち、楽しい番組を作り続けています。
宮崎美子 ―1958年生まれ
還暦を超えた今も「インハンド」や「病室で念仏を唱えないでください」など数々のドラマや映画で活躍する女優・宮崎美子。彼女がグラビアアイドル出身であることはご存知でしょうか?大学生の時にかの有名な篠山紀信の撮影でCMに出演したことがきっかけで有名になりました。博識であることでも知られ、クイズ番組でも活躍しています。
堀江しのぶ ―1965年生まれ
高校在学中に参加したコンテストで受賞したことからアイドルデビューを果たした堀江しのぶ。明るい性格と健康的なスタイルで人気を博しました。ドラマ「毎度おさわがせします」や「男女7人秋物語」などで女優としても活躍しましたが、1988年にスキルス性胃がんのため23歳の若さで亡くなりました。まだまだこれからという時期に起こった悲劇でした。
かとうれいこ ―1969年生まれ
短大生だった時に星野裕子という芸名でグラビアデビューをしたかとうれいこ。その後星野麗子に改名したのち今の芸名に至っています。90年代に歌手デビューもした彼女ですが、2001年にプロゴルファー横尾要との結婚を機に一旦芸能界を引退しています。子育てが落ち着いた2012年に業界復帰を果たしていますが、変わらない愛らしいルックスに世間が驚きました。
西村知美 ―1970年生まれ
1986年に「わたし・ドリーミング」でアイドル歌手デビューをした西村知美。1990年代以降は「さんまのからくりTV」や「ちちんぷいぷい」などのバラエティー番組や情報番組に数々出演する、今や娘1人を持つママタレントです。夫は元CHA-CHAで料理人の西尾拓美。ふんわりとした天然なキャラクターで、バラドルの確固たる地位を築いています。
中村由真 ―1970年生まれ
1987年のドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」への出演で大々的に知られるようになった元アイドルの中村由真。歌手としても活躍し、元男闘呼組の前田耕陽と結婚して以降はバンド活動も行いました。前田との離婚後、心機一転アメリカへ留学し現地で再婚。今も拠点はロサンゼルスで、二人の娘を持つ母として生活しています。
酒井法子 ―1971年生まれ
「のりピー」の愛称で知られる元アイドル・酒井法子。90年代以降に目覚しい活躍を見せ、ドラマ「ひとつ屋根の下」や「星の金貨」は歴史に残る大ヒットになりました。また同ドラマ主題歌となっている「碧いうさぎ」はミリオンセラーを記録しています。台湾や香港などアジアでの人気も高く、最近は海外でもライブやディナーショーを行うほどになりました。
立花理佐 ―1971年生まれ
ドラマデビュー作「毎度おさわがせしますIII」で主演を務め知名度が上がった立花理佐。時代劇やサスペンスドラマを中心に女優として活躍する一方で、複数のCMを掛け持つ売れっ子アイドルでもありました。2000年に元モデルの松永信之と結婚し母となりましたが、最近は舞台を中心に活動中です。
石田ひかり ―1972年生まれ
今や日本の名女優の一人である石田ひかり。姉の石田ゆり子も女優であることは有名ですね!中学生の時にアイドル歌手としてデビューもしていますが、ドラマ「妻たちの課外授業II」で女優デビューして以降、ドラマ「南くんの恋人」や「あすなろ白書」、連続テレビ小説「ひらり」など多くの作品に出演しており、今も女優として第一線を走り続けています。
森高千里 ―1969年生まれ
1987年にデビューして女優・歌手として活躍した森高千里。「私がオバさんになっても」が大ヒットし、歌手としての活動の方がより忙しくなりました。1999年に4年間交際していた俳優の江口洋介と結婚。その後1男1女を授かり育児に専念したため、あまりメディアに登場することはありませんでしたが、今現在はママミュージシャンとして楽曲制作やツアーなどの音楽活動をしています。
鈴木早智子 ―1969年生まれ
雑誌「UP TO BOY」が企画したミスコンの入賞者だった相田翔子と共にアイドルデュオWinkを結成した鈴木早智子。「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」や「淋しい熱帯魚」などのヒット曲を生み出しました。「淋しい熱帯魚」では日本レコード大賞も受賞しています。1996年にデュオでの活動は終えましたが、その後もタレント・女優として今も活動しています。
相田翔子 ―1970年生まれ
Winkのメンバーとして一躍有名になった相田翔子。ソロ歌手として活動した後、タレントとして数多くのバラエティ番組でも活躍するようになりました。「笑っていいとも!」「メレンゲの気持ち」「踊る!さんま御殿!!」などでの活躍が印象的です。歌は辞めた訳ではなく、今も音楽制作やライブ活動を続けています。
中山忍 ―1973年生まれ
実姉は女優の中山美穂である中山忍。先に活躍していた姉の事務所スタッフの目に留まり芸能界入りしました。主に女優として活躍し、数々の2時間ドラマや舞台・映画に出演しています。印象的だったのは映画「ガメラ3 邪神覚醒」「ガメラ 大怪獣空中決戦」でしょうか。知る人ぞ知るガメラ映画常連女優です。2019年には「レッドスネーク、カモン!」で初めて舞台主演も務めました。
田中律子 ―1971年生まれ
なんと12歳の時にモデルデビューで芸能界入りをした田中律子。歌手としてもデビューしましたが、ドラマ「愛しあってるかい!」へ出演を機に女優としての活動が増えました。今はバラエティー番組・情報番組などへも出演しています。ダイビングのインストラクター資格も持ち、2006年にはNPO法人アクアプラネットを立ち上げました。沖縄でサンゴ再生を目指すプロジェクトを行なっているそうです。
田村英里子 ―1973年生まれ
1989年に「ロコモーションドリーム」でアイドル歌手デビューをした田村英里子。実は2000年にアメリカへ単身留学をし、2007年にはアメリカのドラマ「HEROS」に出演、2009年には映画「DRAGONBALL EVOLUTION」で念願のハリウッド映画出演を叶えています。ここに至るまでに数々の努力を重ねた不屈の女優魂には感服です!
宮前真樹 ―1973年生まれ
1989年「パラダイスGoGo!!」の乙女塾1期生となり、アイドルグループCoCoのメンバーとして「EQUALロマンス」で歌手デビューをした宮前真樹。1994年にCocoが解散してからもソロで活躍していましたが2004年芸能界を引退し、今は食育インストラクターとしてカフェなどもプロデュースしています。
羽田恵理香 ―1973年生まれ
1989年「パラダイスGoGo!!」の乙女塾1期生で、アイドルグループCoCoのメンバーだった羽田恵理香。1991年には「迷子にさせないで」でソロ歌手デビューもしています。Coco解散後は引き続きソロ活動をしており、結婚・出産を経た今もタレントとして活動しています。またその傍ら不動産関連の仕事もしているそうです。
大野幹代 ―1974年生まれ
1988年の全日本国民的美少女コンテストに出場したことがきっかけでモデルデビューをした大野幹代。翌年にTV番組「パラダイスGoGo!!」の乙女塾1期生となり、番組内で結成されたグループCocoのメンバーとなりました。グループで、そしてソロでも歌手デビューした後、所属事務所社長と結婚。それを機に活動を休止しています。
三浦理恵子 ―1973年生まれ
「パラダイスGoGo!!」の乙女塾2期生で、アイドルグループCocoのメンバーでもあった三浦理恵子。1991年に「涙のつぼみたち」でソロデビューも果たしました。今は女優として数多くのドラマで活躍しています。また、2015年に一般男性と再婚していますが、もともとダイアモンド☆ユカイの妻でもありました。
瀬野あづさ ―1973年生まれ
1989年にTV番組「パラダイスGoGo!!」内のタレント講座「乙女塾」で誕生した5人組のアイドルグループCoCo。おニャン子クラブの後釜的存在でもありました。代表曲は「はんぶん不思議」「思い出はいっぱい」などでしょうか。解散する1994年に至るまでの5年間、日本武道館を含め全国各地でコンサートも開催し、多くのファンが詰めかけました。
宮沢りえ ―1973年生まれ
モデルとしてデビューした時、宮沢りえはまだ11歳でした。その後すぐにCMなどで知名度が上がり、その後も18歳の時に出版した写真集「Santa Fe」や交際報道など話題の絶えない芸能人生を歩んでいます。彼女の代表作といえば映画「父と暮らせば」「たそがれ清兵衛」でしょう。2018年に6歳年下のV6の森田剛と再婚し幸せいっぱい。ドラマ・映画・舞台と多岐に活躍しています。
永作博美 ―1970年生まれ
日本を代表する女優の一人となった永作博美。実は彼女はアイドルグループribbonの出身です。1993年にグループ活動が休止してすぐに女優としての才能が開花。ドラマ「功名が辻」「週末婚」、映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」などが代表作となっています。日本アカデミー最優秀助演女優賞やブルーリボン賞主演女優賞など輝かしい功績の持ち主です。
松野有里巳 ―1973年生まれ
「パラダイスGoGo!!」の「乙女塾」1期生としてデビューした松野有里巳。同じ乙女塾出身の永作博美・佐藤愛子とribbonというユニットを結成し活動していました。1995年にグループ活動が休止し、その後はソロで舞台やバラエティ番組などで活動しています。2013年にはスポーツインストラクターに転身して活躍中です。
佐藤愛子 ―1973年生まれ
TV番組「パラダイスGoGo!!」内の「乙女塾」から1989年に結成された3人組アイドルグループのribbonのメンバーだった佐藤愛子。タモリや研ナオコが所属する田辺エージェンシー所属ということもあり、アイドル活動だけでなくバラエティー番組にも積極的に挑戦していた珍しいタイプのグループでした。1994年にグループは活動を休止し、その後彼女も芸能界を引退しています。
藍田美豊 ―1969年生まれ
1983年に行われたオーディションで選ばれ、少女隊のメンバーとなったミホこと藍田美豊。1984年に「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」でメジャーデビューしました。少女隊は当時としては珍しくアジア向けのマーケティングにも成功し、香港や韓国などのアジア諸国でもブレイクしています。彼女は解散後3児の母となっており、そのうちの一人・入夏はモデルをしているそう。
安原麗子 ―1969年生まれ
1983年に行われたオーディションで選ばれ、少女隊のメンバーとなったレイコこと安原麗子。1984年に少女隊でデビューして以降ソロでも活躍しており、映画「蘇える金狼」やドラマ「女だらけ」などに出演。近年は舞台や声優としても活動の幅を広げています。プライベートでは、2006年に第一子を出産していることが明らかになっています。
市川三恵子 ―1969年生まれ
1983年に行われたオーディションで選ばれ、少女隊のメンバーとなったチーコこと市川三恵子。1984年にメジャーデビューしてわずか1年後、椎間板ヘルニアを患い無念の少女隊を脱退。治療に専念し芸能界を引退しました。その後結婚し、今は夫婦で理容室を経営しているそうです。2015年に放送された「明石家さんまの転職DE天職」で紹介され話題となりました。
引田智子 ―1972年生まれ
1984年にデビューしたアイドルグループ少女隊のメンバー市川三恵子(チーコ)が1985年にグループ脱退したことを受け、新たに加入されたのがトモこと引田智子です。初代引田天功の娘でもあります。ソロでドラマ「花のあすか組!」や「天使のように生きてみたい」などに出演し、芸能界を1999年に引退。今は化粧品会社ソシエテ・ル レーブの経営者です。
小泉今日子 ―1966年生まれ
キョンキョンの愛称で多くのファンから愛される元アイドルで女優の小泉今日子。「花の82年組」の一人で、デビュー曲は「私の16才」でした。その後「渚のはいから人魚」や「なんてったってアイドル」が大ヒットしています。90年代に差し掛かった辺りから女優として活躍しており、最近だと「あまちゃん」「スーパーサラリーマン左江内氏」などへの出演が印象的でした。
松田聖子 ―1962年生まれ
1980年にデビューした元アイドル歌手で今も歌手・舞台女優として活躍する松田聖子。もうすぐ60代になるというのに年齢を感じさせない容姿には、見る度に驚かされてしまいます。ご存知の通り娘の神田沙也加も、母の才能を受け継いだ歌手ですね。「赤いスイートピー」や「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は時代を超えて愛される名曲です。
岩崎良美 ―1961年生まれ
1980年に楽曲「赤と黒」でデビューした岩崎良美。実姉・岩崎宏美も歌手であることは有名です。姉が先に歌手デビューをし、憧れからその後を追ったのだとか。1985年発売の「タッチ」が彼女の最大のヒット曲になりました。この曲で日本レコード大賞の金賞を受賞しています。因みに2007年にセルフカバーで「タッチ 21st century ver.」もリリースしています。
堀ちえみ ―1967年生まれ
ホリプロのスカウトキャラバンで優勝して芸能界入りをした堀ちえみ。1982年にデビューしてから「さよならの物語」「クレイジーラブ/愛のランナー」「リ・ボ・ン」などヒット曲を立て続けに輩出しました。3度の結婚を経て今や7人の子供がいる母でもある彼女。2019年に口腔癌の療養のため休養に入りましたが、2020年に芸能活動に復帰し、強い母として輝いています。
浅香唯 ―1969年生まれ
最近ダイエットに成功したことで話題になった元アイドルの浅香唯。80年代のスケバン刑事シリーズの3代目主役を務めた事がきっかけでトップアイドルの仲間入りを果たしました。「虹のDreamer」や「C-Girl」はオリコン1位を獲得しています。一時期芸能活動を休止していましたが、ダイエットでさらに輝きを増した彼女の活躍にも期待です!
柏原芳恵 ―1965年生まれ
1979年にオーディション番組「スター誕生!」に出演して、グランドチャンピオンになった柏原芳恵。その後シングル「No.1」でデビューしましたが、実質的なブレイクは1981年の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」発売時となりました。80年台半ば頃からは女優としての活動が多くなり、時代劇や単発2時間ドラマなどに多数出演しました。今現在も歌手として活躍中です。
菊池桃子 ―1968年生まれ
1983年に学園バラエティ番組で芸能界デビューした菊池桃子。翌年「青春のいじわる」でアイドル歌手デビューを果たしたのち、4枚目シングル「卒業-GRADUATION-」から「アイドルを探せ」まで7楽曲連続でオリコン首位の売り上げを記録しました。結婚&出産後は情報番組やドラマなどで活躍しており、2020年には連続テレビ小説「エール」にも出演予定です。
南野陽子 ―1967年生まれ
1985年のドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」にヒットで一躍有名アイドルとなった南野陽子。翌年から担当したラジオ番組「南野陽子 ナンノこれしきっ!」は彼女の魅力たっぷりの伝説番組となっています。2000年以降は「半沢直樹」「SPEC〜零〜」などのドラマ出演の他、映画や舞台、バラエティー番組など活躍の幅を広げています。
薬師丸ひろ子 ―1964年生まれ
まだ中1だった1978年に高倉健との共演でデビューした薬師丸ひろ子。1981年に主演を務めた「セーラー服と機関銃」が大ヒットし一躍有名になりました。その後も女優として活躍し、近年はドラマ「1リットルの涙」「木更津キャッツアイ」「あまちゃん」などに出演しています。また歌手活動も続けており、コンサートもほぼ毎年行っているそうです。
中山美穂 ―1970年生まれ
「ミポリン」で知られる永遠のアイドル中山美穂。元々はモデルでデビューをし、その後女優・歌手として路線変更した彼女。1985年のドラマ「毎度おさわがせします」で地上波デビューして以来、「すてきな片思い」「誰かが彼女を愛してる」「おいしい関係」など数々のヒットドラマを生み出し、主題歌も担当しました。結婚・出産を経ていつまでも変わらないミポリンの今後にも注目です!